日産自動車は1933年(昭和8年)、横浜市神奈川区宝町で日本で始めての自動車製造会社として創立しました。


その創立当時の本社ビルは今も横浜工場内にゲストホールとして残っています。因みに本社は1968年(昭和43年)に東京銀座に移転、その後の2009年(平成21年)には横浜みなとみらいに移転しましたが、登記上の日産自動車株式会社の本店は今でもこの地になっています。


2002年に横浜市より歴史的建造物の認定を受けた建物。




ドアを入るとエントランスホール。最新モデルやテクノロジーが展示されています。因みにこの横浜工場は創業当初、自動車部品から最終組み立てまでを行う一貫製造工場でしたが、1966年に座間工場が完成してからはエンジン、サスペンションの製造を行うユニット製造の専門工場になりました。






エントランスホールの奥が目的のエンジンミュージアム。柱や梁や天井から吊るされたランプなどが懐かしい。


入るとすぐに目を惹くのは1936年製ダットサン15型ロードスター。


その周りには創業当時から最新のものまで30機近くのエンジンが展示されています。

日産自動車の前身であるダット自動車製造が1929年~31年に製造した7型エンジン。

こうやって年代別に観ていくと、技術の発展が良く分かります。この地で初めて製造されてから90年近く、エンジンはかくも進化しました。




1966年製 B1型初代ダットサン・サニー。私の心の中にセピア色の思い出として残っています。


1969年製 GRX-ll型レースカー用エンジン。当時私は自動車レースは憧れの的でした。このエンジンを搭載したレースカーが、テレビのブラウン管の中を疾走する姿を無心に観ていたのが、今では懐かしい思い出です。


一階の展示を一通り観たところで二階に上がります。二階には横浜工場の紹介と歴史、それに企画展示室がありました。
  



エンジン・アクスルの各パーツの進歩や製造工程の変革を分かりやすく展示してあり、とても興味深く学ぶ事が出来ます。




こちらでは日産自動車のこれまでの歩みと、横浜工場の歴史が紹介されています。


1947年に創業し、1966年に日産自動車と合併したプリンス自動車工業株式会社。プリンス・スカイラインやグロリアなどはとても懐かしい名前の響き。




興味深い展示物を見学し、心も十分堪能したところでそろそろミュージアムを後にします。




布袋橋から見た日産自動車横浜工場。手前にはJR貨物線の廃線橋梁が今も残っています。かつてはこの線路を貨物を引いた蒸気機関車が走っていました。


帰り道、子安で見つけた案内板。「西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと」と記されてありました。1859年にキャベツやトマト、セロリなどの西洋野菜の栽培が山手に農場を開設されたのを皮切りに、1866年頃に子安を始め根岸や磯子などの近隣農村に西洋野菜栽培が急速に広まったとの事でした。


残念ながら西洋野菜栽培で栄えた子安村も、その後京浜工業地帯に様変わりしました。下は新子安駅前。此処が豊かな農村だったとは今では想像し難い風景です。
銚子電鉄の仲ノ町駅から次に向かったのは犬吠埼でした。君ケ浜を海岸沿いに走ると、やがて犬吠埼灯台が見えてきます。




白い煉瓦造りの灯台は1874年(明治7年)に建てられたもので、我が国には5つしかない第一等灯台のうちの一つであり「世界の灯台100選」、「日本の灯台50選」にも選ばれています。紺碧の空と海と、白亜のクラシックな灯台のコントラストが鮮やか。


灯台の足元には寄り添うように白い旧型のポストが立っていました。今でも実際に使われているようで、脇には集配時間と、台座には「郵便は世界を結ぶ」と刻まれていました。見慣れた古いポストもどこか凛々しく、モダンに映ります。


この辺りは銚子ジオパークの一部になっており、海岸では中生代の化石や珍しい岩層を見る事が出来ます。




砂岩層と泥岩層が交互に幾重にも重なり、地殻変動によって傾いた地形。細かく見ていると、誰かが意識的に作り出したような模様が面白い。






ここからいったん海岸線から離れ、車を更に先へと走らせます。銚子電鉄の犬吠駅はちょっとモダンな駅舎です。


犬吠埼から「地球の丸く見える丘展望館」までは車で10分ほど。以前ここへ来たのは何年前の事だろう。駐車場に車を停め、息を切らせながら展望館へと続く階段を登って行きました。






展望台からの眺め。海からの風がとても心地良い。高さはそれ程ではないのだけれど、360度のほとんどが水平線というのは普段あまり見られない爽快な風景です。








太陽がだいぶ落ちてきました。ここで夕焼け空を眺めようかとも考えたのですが、思い切ってもう少し先まで進む事にしました。




全く人けの無い海水浴場を横目に見ながら県道をしばらく走り、最後に到着したのは銚子漁港でした。夕陽に反射して輝く銚子ポートタワーが印象的。


ポートタワーからの夕陽を楽しもうと思って急いで来たのですが、もう少しのところで残念ながらタイムアウト。開館時間は18時半まででした。


諦めて漁港を見て周ることに。日本一の水揚げ量を誇り、銚子市を代表する観光地として知られている銚子漁港も、この時間ともなれば人影もなくひっそりとしています。


停泊している漁船に近づいてみると小さな船が後ろに載っているのが分かります。旋網探索船兼運搬船というのだそう。




漁港独特の香りが何故か懐かしさを覚えます。そろそろお腹も空いてきたところで帰途に就く事にしました。








次第にグラデーションが濃くなっていく夕焼け空の下、殆ど車の往来がなくなった利根水郷ラインを再び通り、家路へと急ぎました。
5月も残り少なくなった週末。ふと思い立って久しぶりに銚子へ行ってみる事にしました。千葉県我孫子市から利根川に沿って、ひたすら太平洋を目指して車を走らせます。
『坂東太郎』の異名を持つ利根川は、群馬県北部に源を発し、関東平野を貫いて千葉県銚子市で太平洋に注ぐ、我が国で最大の流域面積を誇る河川です。


川と川に挟まれた道路を淡々と走っていると、やがて利根川河口堰が見えてきます。写真右が利根川、左が常陸利根川(霞ヶ浦)。この河口堰を経るとすぐに2つの川は合流します。




常陸川水門。利根川河口堰と合わせて逆水門と通称されます。




穏やかに流れる大河の姿はとても美しい。雄大な景色に見惚れていると、あっという間に時間が過ぎていきます。この後さらに車を走らせました。銚子大橋が見えると100㎞近くあった道のりもゴールは間近。
 

銚子大橋を渡り、


ようやく銚子駅に到着。銚子駅はJR東日本の総武本線の終着駅であり、銚子電気鉄道の起点駅でもあります。


ターミナル駅というには余りにこじんまりとした駅舎。人も疎らで長閑な雰囲気です。




駅舎をしばらく見た後はヤマサ醤油工場へ。車で10分足らずだったのですが、時間的には歩いた方がぜったい早かった。




工場内を散策します。当日は日曜日だった為、見学ツアーは行われていなかったのですが、「しょうゆ味わい体験館」には無料で予約無しで入る事が出来ました。




見学記念にもらった卓上しょうゆ。以前は瓶入りだったのですが、いつからかパックに変わってました。


工場の駐車場に車を置かせてもらい、銚子電鉄の仲ノ町駅まで歩いてみる事に。


仲ノ町駅は銚子駅から一つ目の駅で、ヤマサ醤油工場第1工場に隣接しており、かつてはここから工場まで専用線が延びていました。


レトロな雰囲気たっぷりの切符売場と改札口。入場券を買って構内に入ります。










銚子発外川行きの電車が入ってきたかと思うと、ホームに降り立ったのは小柄な女性の車掌さん。満面の笑み浮かべながらの職務にこちらまで心が和みます。


定刻通りに出発する電車を見送った後は次の目的地へと向かいました。次回に続きます。
50年以上に渡って、ファッション、音楽、映画界などのスターを撮り続けているイギリスのフォトグラファーの重鎮、デヴィッド・ベイリーの展覧会が神宮前のポール・スミス スペースギャラリーにて開催されました。神宮前の住宅街の入り組んだ場所にあるこの建物には、これまで何度も行ったけど、道を一本間違えると未だに迷いそう。


1階と2階のショップには、ポールスミスの全てのラインナップが並んでいます。




3階屋上庭園からの眺め。周囲をビルに囲まれて、絶景と言う訳ではありませんが、これはこれでまた趣きのある風景を楽しめます






今回が日本初となる『Bailley's Icon』では、各界のスターの懐かしい姿をモノクロームで見る事が出来ました。


ジョン・レノン&ポール・マッカートニー、1965年


荒木経惟、2005年


ジャック・ニコルソン、1984年


ジョニー・デップ、1995年


ジョージ・マイケル&エルトン・ジョン、1985年


U2、1985年


クイーン、1985年


デヴィッド・ボウイ、1985年


ミック・ジャガー、1964年


一枚一枚の写真が懐かしい。




見終えた頃にはいつしか日が沈み、神宮前を後にする事にしました。
都電荒川線の始発停留場である三ノ輪橋停留場は、日光街道から路地を少し入り、梅沢写真会館を潜り抜けた先にひっそりと佇んでいます。


昭和2年築の梅沢写真会館は、かつて都電荒川線の前身である王子電気軌道が入っていたビルで、三ノ輪王電ビルディングと呼ばれていました。一階通路は商店街になっており、正面に駅があります。




「駅」と言うより、どこかの小さな公園のような感じ。切符売り場も無ければ改札口も無く、電車が停まってなければとても駅には見えない。


因みに「関東の駅100選」のひとつで、ちょうど今はバラが見事に咲き揃っています。



青や赤やピンクや黄色と言った、色とりどりの電車が入ってきてはまた出て行きます。


駅をひとしきり見終えたところで乗車。電車は花壇の中を長閑に走ります。


最初に降りたのは荒川二丁目でした。ここには旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設があります。




しかし正門まで行って分かったのですが、見学には事前に予約が必要でした。予約をしていなかった私は仕方なく資料だけでも貰おうと事務所へ行き事情を話したところ、なんとこれから施設を案内して頂けるとの事。意外な展開に心が踊ります。


赤い煉瓦造りの重厚な建物が印象的。大正11年に運転を開始したこの施設は、平成11年に別系統のポンプ施設が完成し現役を引退しましたが、平成19年には我が国最初の近代下水処理場の代表的遺構として、国の重要文化財(建造物)に指定されました。


東・西阻水扉室の中央にある階段を降りて行くと、


東・西沈砂池。




ヘルメットを借りて地下へと進みました。幻想的な世界に胸が高鳴ります。




喞筒井及び喞筒井接続暗渠。暗渠(あんきょ)とは地下に設けた水路の事で、整然と敷き詰められたタイルが独特な雰囲気を醸し出しています。


かつてはここを水が轟々と流れていました。その中を歩いていると思うと、なんだか不思議な気持ち。
 









階段を上がって喞筒室の二階へ。10基のポンプが並び、上部のクレーンには「六トン半」と「東京石川島造船所、大正六年製造」の文字が見てとれます。




  

創業間もない頃のエバラポンプ。


大正11年(1922年)3月に稼働が始まり、平成11年(1999年)に停止するまでの77年間、休む事なく働いたこと施設も、現在はその役目を終え静かに過ごしています。




急な申し入れにも関わらず、親切に対応し案内してくださった方々には本当に感謝しています。また機会があれば次回はゆっくりと見学させて頂きたいと思います。


大きな満足感と共に再び都電荒川線に乗り込みました。

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