50年以上に渡って、ファッション、音楽、映画界などのスターを撮り続けているイギリスのフォトグラファーの重鎮、デヴィッド・ベイリーの展覧会が神宮前のポール・スミス スペースギャラリーにて開催されました。神宮前の住宅街の入り組んだ場所にあるこの建物には、これまで何度も行ったけど、道を一本間違えると未だに迷いそう。


1階と2階のショップには、ポールスミスの全てのラインナップが並んでいます。




3階屋上庭園からの眺め。周囲をビルに囲まれて、絶景と言う訳ではありませんが、これはこれでまた趣きのある風景を楽しめます






今回が日本初となる『Bailley's Icon』では、各界のスターの懐かしい姿をモノクロームで見る事が出来ました。


ジョン・レノン&ポール・マッカートニー、1965年


荒木経惟、2005年


ジャック・ニコルソン、1984年


ジョニー・デップ、1995年


ジョージ・マイケル&エルトン・ジョン、1985年


U2、1985年


クイーン、1985年


デヴィッド・ボウイ、1985年


ミック・ジャガー、1964年


一枚一枚の写真が懐かしい。




見終えた頃にはいつしか日が沈み、神宮前を後にする事にしました。
都電荒川線の始発停留場である三ノ輪橋停留場は、日光街道から路地を少し入り、梅沢写真会館を潜り抜けた先にひっそりと佇んでいます。


昭和2年築の梅沢写真会館は、かつて都電荒川線の前身である王子電気軌道が入っていたビルで、三ノ輪王電ビルディングと呼ばれていました。一階通路は商店街になっており、正面に駅があります。




「駅」と言うより、どこかの小さな公園のような感じ。切符売り場も無ければ改札口も無く、電車が停まってなければとても駅には見えない。


因みに「関東の駅100選」のひとつで、ちょうど今はバラが見事に咲き揃っています。



青や赤やピンクや黄色と言った、色とりどりの電車が入ってきてはまた出て行きます。


駅をひとしきり見終えたところで乗車。電車は花壇の中を長閑に走ります。


最初に降りたのは荒川二丁目でした。ここには旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設があります。




しかし正門まで行って分かったのですが、見学には事前に予約が必要でした。予約をしていなかった私は仕方なく資料だけでも貰おうと事務所へ行き事情を話したところ、なんとこれから施設を案内して頂けるとの事。意外な展開に心が踊ります。


赤い煉瓦造りの重厚な建物が印象的。大正11年に運転を開始したこの施設は、平成11年に別系統のポンプ施設が完成し現役を引退しましたが、平成19年には我が国最初の近代下水処理場の代表的遺構として、国の重要文化財(建造物)に指定されました。


東・西阻水扉室の中央にある階段を降りて行くと、


東・西沈砂池。




ヘルメットを借りて地下へと進みました。幻想的な世界に胸が高鳴ります。




喞筒井及び喞筒井接続暗渠。暗渠(あんきょ)とは地下に設けた水路の事で、整然と敷き詰められたタイルが独特な雰囲気を醸し出しています。


かつてはここを水が轟々と流れていました。その中を歩いていると思うと、なんだか不思議な気持ち。
 









階段を上がって喞筒室の二階へ。10基のポンプが並び、上部のクレーンには「六トン半」と「東京石川島造船所、大正六年製造」の文字が見てとれます。




  

創業間もない頃のエバラポンプ。


大正11年(1922年)3月に稼働が始まり、平成11年(1999年)に停止するまでの77年間、休む事なく働いたこと施設も、現在はその役目を終え静かに過ごしています。




急な申し入れにも関わらず、親切に対応し案内してくださった方々には本当に感謝しています。また機会があれば次回はゆっくりと見学させて頂きたいと思います。


大きな満足感と共に再び都電荒川線に乗り込みました。

前衛的なアトリエと、素朴なギャラリー

 11, 2017 22:48
青山の骨董通りから一本入った裏通りの、余り目立たない場所に岡本太郎記念館はあります。岡本太郎が1953(昭和28)年から亡くなる1996(平成8)年までの40数年間を、このアトリエ兼住居で暮らし、創作活動を行ないました。


ル・コルビジェの弟子であり岡本太郎の友人でもあった坂倉準三の設計による建物は、岡本の要望でブロック積みの壁の上に凸レンズ形の屋根が乗った、とても印象的なものです。


エントランスを入ると先ず迎えてくれるのが1982年の作品「縄文人」。


庭を臨むサロンには、作品が所狭しと並べてありました。「手の椅子」、「駄々っ子の椅子」、「坐ることを拒否する椅子」など。




サロンを抜けて突き当りにあるのがアトリエ。


膨大な量の絵画や彫刻やエスキースは、歴史の重みを感じます。




2階のふたつの展示室では「20人の鬼子たち」が開催されていました。
















私が岡本太郎の作品を最初に見たのは1970年に開かれた大阪万博の「太陽の塔」でした。当時中学生だった私の目には、千里丘陵に聳え立つ太陽の塔はとても大きくて目新しく、正に未来の象徴のように映ったものです。それから半世紀近くの月日が流れ、世の中も随分と変わりました。


TOBICHI(とびち)とTOBICHI②の隣り合う二軒は、糸井重里が主催するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営するギャラリー・ショップです。この日はヒグチユウコの原画展の最終日という事もあってか、大勢の見学者で賑わっていました。




昨年に銀座のポーラミュージアムで開催された「GUSTAVE(ギュスターヴ)くん by HIGUCHI YUKO」で、頭は猫、手は蛇、胴体はタコという奇妙な動物とワニとの会話を綴った絵本を見ましたが、とても愛くるしい表情とあどけない会話には、思わず笑みが溢れてしまいました。


TOBICHI②  こちらも素朴で温かみのある建物で、側を通るとついつい寄ってみたくなります。






今はちょうど散歩に打って付けの季節です。


昭和の竜宮城のねこずくし

 05, 2017 16:28
目黒雅叙園の百段階段は、太宰治の小説に登場し、『千と千尋の神隠し』のモデルにもなった有名な場所ですが、普段は一般に公開されておらず、なかなか目にする機会がありませんでした。

現在「福ねこ at 百段階段展」が開催されており、会期中は全室での撮影が可能という事だったのでさっそく行ってみる事にしました。


目黒雅叙園はつい先月、「ホテル雅叙園東京」に名称がリブランドされたそう。




招きの大門。瓦屋根の上には《縁結び》の棟飾りが見られます。


エントランスから専用エレベーターで3階へ上がり更に先を進むと、其処には全く違う世界があるのを初めて知りました。


因みに「百段階段」は通称だそうで、1935(昭和10)年築の旧目黒雅叙園3号館にあたります。現在園内で唯一の木造建築であり、東京都の有形文化財にも指定されています。99段のケヤキ造りの階段廊下には、それぞれ趣向を凝らした7つの部屋が繋がっています。


階段を上がって最初にあるのは十畝(じっぽ)の間。この部屋には366匹の福招き猫が並んでいました。今回催されている「福猫 at 百段階段~和室で楽しむねこアート~」では、9名の作家による個性豊かな作品がそれぞれの部屋に展示されています。






更に階段を上がると漁樵(ぎょしょう)の間。室内は全て純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられており、その絢爛豪華さに圧倒されます。『千と千尋の神隠し』の中で、千尋が働くことになる湯屋は目黒雅叙園も参考しています、と宮崎駿監督自身も語っているそうですが、この部屋はその湯屋のシーンを最も彷彿とさせるところです。






江戸時代末期の浮世絵師である歌川国芳が描いた「猫飼好五十三疋」を再現した53体の猫が並びます。


続いて草丘の間。






静水の間。




星光の間。




清方の間。






そして、頂上の間。




「昭和の竜宮城」とも呼ばれる贅を尽くした部屋は、正にお伽話に出てくる様な煌びやかな世界でした。一通りの見学を終え、ため息混じりで雅叙園を後にしました。




新宿の東口と西口とを繋ぐ重要な道路である新宿跨線橋(国道20号)は、大正14年に架設された古いものでした。その為老朽化や混雑緩和などを目的に、平成11年から架け替え工事が進んでいましたが、17年もの歳月をかけてようやく昨年完成しました。新しくなった新宿跨線橋(中央)と、左手が新宿駅南口、右手が昨年の春にオープンしたバスタ新宿。



バスタ新宿は、1階部分にJR線が走る人工地盤上に、2階は歩行者エリアと駅施設、3階はタクシー乗降場、4階は高速バス乗車場という立体道路の構造であり、3階と4階部分は国道20号の一部という事になっています。それにしてもJR線や車の通行を全く遮断せずに、これだけの施設を完成させた日本の建築技術は、正に驚くべきものです。


横に聳え立つのは地上32階建てのJR新宿ミライナタワー。1~4階は商業施設、5階~32階はオフィスフロアになっています。何よりも驚くのは、このビルディングが線路の上の人工地盤に建っているという事。




2階のペンギン広場。脚の下を絶え間なくJR線が潜り向けて行きます。






4階バス乗降場には全国に向かう高速バスがひっきりなしに入ってきます。


7階の屋上庭園と、


そこから見える新宿高島屋タイムズスクエアとNTTドコモ代々木ビル。新宿駅周辺の景色もどんどんと変わってゆきます。


この後都庁へ向かって歩きます。東京都庁が丸の内から現在の西新宿に移転したのは今から26年前の1991年の事でした。私が初めて新宿の高層ビル群を目にした時、その余りの巨大さに暫し言葉を失ったものです。以来、超高層ビルは各地にどんどんと増えていきますが、今でもこの風景を見ると人間の英知の凄さをつくづく感じます。





東京都庁舎は、第一本庁舎(上)、第二本庁舎(右手)と、都議会議事堂(左手)の三棟からなり、設計は全て旧東京都庁舎と同じく丹下健三によるもの。


普段、都庁には全く用のない私ですが、たまに行く時と言えば展望台に上がる位です。日曜や祭日などは展望台行きのエレベーターにはいつも長蛇の列が出来ているのですが、この日は平日の昼間と言う事もあって、殆ど待たずに入る事が出来ました。因みに展望台は第一本庁舎の北と南の2ヶ所があり、この日に上がったのは南展望台でした。


分速240mの専用エレベーターは、1階から45階までを55秒で一気に駆け上がります。
地上202mからの眺め。都内をほぼ360度見渡す事が出来ます。左手は新宿御苑、中央には新宿パークタワー、右手には東京オペラシティが。
 

最近『視程』という気象予報用語が気になります。水平にどれだけの距離を見渡せるかをkmで表したもので、スマホの毎日の天気予報で調べる事が出来ます。空気の澄み渡った日だと都内でも50kmはあるのですが、最近は平均15km前後、雨の日だと5km以下とめっきり短くなってしまいました。流石にこの日も富士山の姿を全く拝むことは出来なかった。曇り空の景色というのも、また趣きがあってなかなかいいものですが…。


帰りは思い出横丁にちょっと寄り道。ここには今でも昭和の良き風情が残ります。


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