8月始めの週末は、台風が近付いてるとの事でしたが、時おり晴れ間も見えてまずまずの天気になりました。ふと思い立って水戸へ行ってみる事に。前回来たのは何年前の事だろう。記憶に残ってるのは偕楽園からの帰りに「のし梅」を買った事くらいでした。


先ずは千波湖へ向かいます。因みに千波湖入口交差点から向こう側に見える奇妙な形の塔は「水戸タワー」で、今回もっとも興味があった建物ですが、先に偕楽園周辺を散策してから行ってみる事にしました。


デゴイチ駐車場に車を停めると、湖は目の前。




黄門様の前に湖が広がります。




湖上では噴水が勢いよく水を上げていました。それにしても水鳥たちはよほど人間に慣れているのか、近寄っても全く逃げる様子がない。誰かが餌をあげているのかな。




千波湖公園から偕楽園へ。偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園と並んで日本の三大名園として知られていますが、都市公園としてはニューヨークのセントラルパークに次いで世界で二番目の面積を持つのだそう。


さすがに全てを回れないので、好文亭のほうへ歩いてみる事にしました。


樹々や芝生がとても綺麗に手入れされていて気持ちがいい。

好文亭。梅には「好文木」の異名があり、それに由来して好文亭と名付けられたのだそう。




二階三層の好文亭と北側の奥座敷からなっており、それらを総称して好文亭と読んでいるとの事でした。




二階に上がると窓からは、眼前に偕楽園や千波湖が広がります。



千波湖と偕楽園を散策したあとは車に戻り、中心街へと向かいます。フィアットの巨大なガラスショーケースの向こう側が県庁。


先ほどまでの静寂な雰囲気から一転して、市街のメインストリートは全て通行止めになっており、多くの人達で賑わっていました。


それもそのはず、今回で57回目を数える水戸黄門祭りの、今日は最終日。


市内のあちこちで様々なイベントが開催されていましたが、やはり一番迫力があったのは山車の巡行でした。


山車たちの向かったいく方向へ足を進めると、それに連れて熱気もだんだん上がっていきます。山車は笛や太鼓を元気よく打ち鳴らしながら中心へと進んでいきます。


そしてクライマックス。一同に集まった山車たちは、力の入った笛や太鼓と踊りで競い合います。






これだけ間近で祭りを見たのは随分久しぶりの事でした。凄い熱気と迫力のなか熱狂の渦に完全飲み込まれ、炎天下だというのに鳥肌が立った。


 
気迫に圧倒されそう。




人混みに揉まれながら我を忘れて見ていたら、あっと言う間に時間が経ってしまいました。本当に凄かった…。機会があればまた来年も来たい。祭りはまだまだ続くようですが、そろそろ次の目的地である水戸タワーへ向かう事にしました。


 

今年で建国150周年を迎えたカナダ連邦。7月1日は建国記念日たったそうで、普段何気なく前を通り過ぎるだけのカナダ大使館でしたが、ちょっと見学してみたくなりました。


受付を済ませて中へ。4階まで伸びる直行エスカレーターを登り切ると「カナダ・ガーデン」というテラスがあり、カナダ人アーティストによる作品が配されていました。


最初に迎えてくれるのはテッド・ピーラー作の「砕ける波」で、カナダ・ガーデンの旅の始まりを告げます。遠方にはビルの間に挟まれた東京タワーも望めます。


広々としたテラスと、上層の屋根の間から差し込む陽射しがとても柔らかい。




カナンギナック・プーテウグックの作品「イヌクシュック」は、イヌイット語で、"人間の化身"の意味だそう。


メリオン・カンタロフ作のブロンズ彫刻「ウェーブ」は、太平洋を象徴する水辺に浮かびます。


その先には枯山水式の日本庭園が広がります。


そして館内へ。




地下2階にあるE・H・ノーマン図書館は、アジアで最大のカナダ研究ライブラリーだそう。


ウオレン・カーサー作「壁面ガラス彫刻」。


テラスも館内もひっそりとしており(というか誰も居ない)、ゆっくりと時間を過ごす事が出来ました。機会があったらまた行ってみたい。


この日はもうひとつ目的があったので、赤坂を後にし青山方面へと歩きました。いつも歩く道だけど、少し遠回りしてみると色々な風景を楽しむ事が出来ます。






青山に着いたものの、目的地の住所まで行ってもそれらしき建物が見つからない。コスチュームナショナルというブティックと現代アートの発信拠点だそうでしたが、仕方なく電話してみたら受付の方が迎えに来てくださいました。草が鬱蒼と生い茂った建物は、とても青山の真ん中に居るは思えません。




ここでは7月末までイタリアの名門カロッツェリアのZAGATO(ザガート)がMVアグスタをデザインした世界にただ一台の『F4Z』を中心に、MVアグスタの貴重なバイク達が展示されていました。


ただ一人の日本人実業家の為に一台のみ作られた『F4Z』。今後も製作される予定がなく、4輪でのカロッツェリアとして有名なザガートですが、2輪の製作はこれが初めて。




私は若い頃からオートバイに強く惹かれます。それもハーレーのような大陸的で大らかなものでは無く、ドゥカティやMVアグスタと言った「走る」という機能を極限まで追求したイタリアン・スーパーバイクです。無駄を一切排した機能美と、イタリアのデザインセンスの融合は、単なる工業製品というより真に美しい。






一台一台が正にアートで、この上なく美しいのですが、うっかり手を出すとぜったい怪我をする。まるで危険な宝石のよう。私はオートバイを降りて久しいのですが、今でも堪らなく乗りたい衝動に駆られる事があります。


眺めているだけでしたが至福の時間を過ごした後は、日比谷から銀座方面へ少し寄り道する事にしました。








日動画廊ではアンディ・ウォーホル展が開催されていました。


アンディ・ウォーホルの作品に初めて出会ったのは私はまだ学生の時でした。マリリンモンローの作品と共に有名だったキャンベルスープ缶は、なぜ題材にそれを選んだかのを疑問に思っていましたが、これがポップアートの始まりだと知ったのはずいぶん後になってからの事でした。




懐かしさと共に画廊を出た時には完全に陽が暮れていました。この日は折しも満月。下方から顔を覗かせた月は、上に登るに連れオレンジ色から次第に白く変化していきました。銀座の街は、まだまだ眠らない。

世界に誇る紙の建築家と六本木の花火

 23, 2017 00:15
今月の16日まで乃木坂のTOTOギャラリー・間では「坂 茂 : プロジェクツ・イン・プログレス」が開催されていました。建築家・坂 茂(ばん しげる)氏は、日本は元より世界中の建築の設計に携わる傍ら、何処かで災害があったと聞いては世界中の被災地まで駆けつけて救済活動を続けてらっしゃいます。紙の管(紙管)を使った仮設住宅を提案し、2014年には建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞しました。因みに私が今まで何度か訪れた銀座のニコラス・G・ハイエックセンターも、同氏の設計である事を後から知りました。


今回は18年ぶり2度目の展覧会となるそうで、世界各地で現在進行中のプロジェクトが模型と共に展示されていました。


これはパリ近郊、セーヌ川の中洲(セガン島)オープンする「ラ・セーヌ・ミュジカル」。あたかもセーヌ川に浮かぶ巨大な船をイメージさせる複合音楽施設です。




静岡県富士宮市に今月竣工予定の富士山世界遺産センター。屋根から逆さ富士が吊るされており、下部の水面に写ります。機会があれば是非とも訪れてみたい。
 



現在建築中のスイス時計会社の本社。材木の加工の模様もビデオで紹介されていました。坂氏によるとスイスの木材加工技術は素晴らしく、日本の技術は数段遅れているのだそう。日本は終戦後、鉄筋とコンクリートの建築に集中し、木造建築の技術はそれ以来殆ど進歩してないとの事でした。そう言われれば日本の都市はどこもコンクリートジャングルと化してしまいました。


紙管を組み上げたモデルが窓の外に広がっています。「紙」と聞くと、燃えやすい・水に弱い・耐久性に問題がある等と想像してしまいますが、坂氏によると工業製品である紙は全く問題が無いのだそう。
  







私が訪れたのは最終日だったのですが、なんと坂 茂氏ご本人が来場されていたのは驚きでした。現在進行中の一つ一つのプロジェクトについて説明されていたのですが、さすが説得力があります。




今回の訪問は非常に短い時間でしたが、お話しを聞いていくうちに、建築家という枠を超えて人間「坂 茂」氏としての魅力と偉大さの一端を窺い知れたような気がします。帰り際に撮影の許可と共に直筆サインを頂けたのは嬉しい驚きでした。


この後ギャラリーを後にして、東京ミッドタウンへ。


芝生広場では一足早く花火が上がっていました。






いよいよ本格的な夏の始まりです。
都電荒川線。今回は王子駅前から飛鳥山を散策してみる事にしました。


王子駅前を出発するとすぐに大きくカーブを描き、国道122号へと合流していく都電荒川線。車輪を軋ませながら大きな道路へと吸い込まれていく光景は見ていてけっこう楽しいものです。


まずは飛鳥山公園の方へと歩きました。と、間も無くユニークな乗り物が目に入ります。公園入り口から山頂までの高低差18mを結ぶ飛鳥山モノレール、「アスカルゴ」。因みに飛鳥山は都内で一番低い山で、約2分間のモノレールの旅ですが、王子駅周辺のパノラマ風景を手軽に楽しむ事が出来ます。




アスカルゴから降りると眼前に飛鳥山公園が広がります。ここは江戸時代から桜の名所として有名で、歌川国貞や歌川広重などの著名な絵師達が多くの作品を残しました。




飛鳥山公園には3つの博物館がある事でも有名。北区飛鳥山博物館は3階建てになっており、復元された正倉の他、アートギャラリーなども楽しめます。






紙の博物館は世界でも有数の紙専門の博物館。初期の印刷設備などを見学出来るほか、紙関連のちょっとした知識を学ぶ事も出来ます。




渋沢資料館。日本の近代経済の基礎を築いた渋沢栄一の数多くの資料が展示されています。3つの博物館を観ていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。


飛鳥山公園の一角に位置する旧渋沢庭園は、旧渋沢家飛鳥山邸宅跡に整備された庭園です。大実業家・渋沢栄一のかつての敷地内の建物は、第二次世界大戦で大半が失われましたが、青淵文庫と晩香廬だけが残りました。共に国指定重要文化財になっています。




青淵文庫は1925年(大正14年)築の鉄筋コンクリート造りの重厚な建物。




瀟洒な建物の中は、タイルやステンドグラスが美しい。当時のモダンな雰囲気を偲ばせます。






1917年(大正6年)築の晩香廬は、渋沢栄一の喜寿を祝って建てられた西洋風茶室です。




広大な敷地の飛鳥山公園をひと通り観た後、いったんJR王子駅方面へと戻りました。信号待ちをしていると、都電が目の前の交差点を悠々と通り過ぎて行きます。


JR王子駅のすぐ横にある「北トピア」。北区の複合文化施設で、王子貨物駅の跡地に建てられ、1990年(平成2年)にオープンしました。最上階の17階は展望ロビーになっています。




ロビーを抜け、エレベーターで17階まで上がります。


展望ロビーからの眺め。色とりどりの新幹線が行き交う風景は、まるで模型の電車が走っているよう。


360度ではないのですが、3面方向の眺望が見渡せます。夜景が綺麗かも。次回はぜひ夕暮れ時に来たいものです。


大パノラマを楽しんだ後はJR王子駅北口を出て、音無親水公園に向かって歩きました。
 

音無親水公園は、小平市を源に隅田川まで注ぐ石神井川の旧流路に整備された公園です。石神井川は、北区周辺では音無川と呼ばれ親しまれています。


日本の都市公園100選にも選ばれています。今や自然の清流ではなくなったけど、木漏れ日の下を流れる水辺を見ていると、暫し暑さも忘れます。




音無橋は、とても趣きがある橋。欄干には「昭和五年十一月成」と記されていました。


二つの公園と三つの博物館を見て、だんだん脚が怠くなってきた…。陽も暮れてきた事だし、そろそろ飛鳥山を後にする事にしました。

横浜山手のフランス山

 26, 2017 18:57
横浜山手は英語で"Yamate Bluff"。Bluff(ブラフ)とは「絶壁」を意味する事からも分かるように、この辺りはかなりの高台になっています。因みに山手に対して関内の外国人居留地は、山下と呼ばれます。6月も後半に差し掛かったとある日、山手本通りを歩いてみる事にしました。


通りから少し入ると山手公園があります。山手公園は、1870年(明治3年)に横浜居留外国人によって造られた日本初の洋式公園だそうで、2004年に名勝の指定を、2009年には近代化産業遺産の認定を受けました。


山手は我が国のテニス発祥の地でもあります。横浜山手テニス発祥記念館。






カーネルスコーナーという名のビル。ここの1階には以前、明るい感じのカフェがあったのですが、いつの間にか無くなっていました。お馴染みの店が無くなってしまうのは少し寂しい。
 

通りの向かい側に見える建物が横浜地方気象台。現存稼働している気象台の庁舎として日本で三番目に古い建物で、1927年(昭和2年)に建てられました。横浜市の有形文化財に指定されています。




公開中という事で入ってみたのですが、受付もなければ人も居ない。スリッパに履き替え館内を見学します。


アーチ型の梁や階段の手すりなど、シンプルなアール・デコ装飾に仄かな温かみを感じます。




平成21年に増築された部分は安藤忠雄の設計によるもので、存在を主張する事なく周囲と違和感なく溶け込んでいます。


渡り廊下の先が現業室(げんぎょうしつ)。神奈川県の警報・注意報や天気予報の発表や気象の観測が行われており、2人1組で24時間365日休みなく監視されているのだそう。








気象台を出て港の見える丘公園へ。昨年の4月に緑化工事が終わりリニューアルオープンしました。香りの庭には4つの香りのゾーンがあります。








大佛次郎記念館。


色とりどりの花と香りを楽しんだ後、フランス山へと向かいます。


木々が鬱蒼と生い茂り、木漏れ日が清々しい。因みにフランス山は、かつてフランス軍の駐屯地があった事からこう呼ばれるようになりました。


緑の中をしばらく進むとフランス領事館跡に行き当たります。1930年に建てられたものの、1947年の火災により消失されましたが、今も遺構が部分的に残っています。






フランス山に居た青い目の女性。撮影の申し出に心良く応じてくれました。絵画の世界から抜け出てきたような彼女は、はにかみながらの笑顔も愛らしかった。






パビリオン・バルタール。1860年代から1973年までの100年余りの間、パリ中央市場(レ・アール)で使われていた鋳鉄製骨組みです。再開発の為に取壊された後、パリ市当局の好意によって寄贈されました。


青空と緑が眩い。このあと元町の方へ歩いてみる事にしました。

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